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2015年11月

2015年11月22日 (日)

老人の筋トレ

老人の筋トレというテーマの記事の多くは、老人も筋トレをしても悪くはないというものだ。
大して面白くもない、期待を裏切る結論がなされている。
だが筋トレを3年程続けただけで偉そうな事を云うと、筋トレは続けるための理由が必要だ。
例えば、ヤセ体質を改善したいとか、人より筋肉が付きやすい場合は、
肥大した筋肉を人に見せつけたいとか(こっちの方は想像だが)だ。
こうした続ける理由がないと、筋トレは辛い事を増やすだけになってしまう。
筋トレを続けるとその害毒(ストレッサー)に曝される。
普通ならストレスは避けるべきだし、人には成るべく筋トレをしないように進言するだろう。
筋トレを続けるには、生じたストレスを自分の好きなように捻じ曲げる事が強いられる。
若い時は健康に不安は少なく、健康目的の筋トレを続ける理由は少ない気がする。

筋トレは客

筋トレした後、必ずやってくるキリキリをした筋肉痛は暫く嫌なものだった。
実際、それで体調を崩す事もある。
だが今の暮らしは刺激が少ないし、ある種の疎外感すら抱いている。
そうなると筋肉痛は私を訪ねてくる数少ない客のようなものと思う様になった。
暫くたわいのない話をする。
「今日は背筋が珍しく痛むね」
そうなのだ、背筋はどういう時に使うかとか、どんな役にたっているのかよく知らない。
背筋を日常生活で意識する事は殆どない。
「いやー、今日という今日は、ヘトヘトですわ」
などと語ってくれる。
和むひと時だ。

SIMを持つか

在宅で作業している。
時々出掛けた電車の中でも取り出して操作するスマホはない。
正確にいうとスマホはあるがSIMがない。
だからSIMを購入しようかと考える事もある。
戸外でスマホを操作するイメージが浮かぶ。
今時、外でスマホを使えないとは、少しみじめではないか。
そんな事はないと一先ず考える。
スマホを検索する事は、私の場合、余り楽しめない作業に入る。
戸外ではなるべく和んでいたいという考えがある。
こうしてSIMを入手する気持ちは、又引っ込んでしまう。
いつでもインタネットに接続できる方が、いい筈だとは思う。
頭の隅には再びそういう声がする。

2015年11月16日 (月)

肉体感覚を覚える

長い時間、全身に散らばっていた筋肉の疲労や痛みが、なぜか少し整理され、
不安などネガティブな感情が少し減少した気がした。
そのような感覚が休日の午後にやってきた。
痛みは残っているが、不安はそれ以上になくなっていた。
それを肉体感覚という名前で呼んでみたくなった。
だがその後、少しストレスを感じる事が起き、その感覚は即座に消えてしまった。

よくストレス太りと言われるように、ストレスを感じた時、
食べる事がストレスを帳消しにする力が強い。
今回の肉体感覚のストレスに対抗する力は、食べる事に比べると少ないと判った。

ではこの肉体感覚にはどんな価値があるのだろうと考えてしまった。
好ましいと感じた根拠は何処にあったのだろう?
このままでは肉体感覚は立場を失う事になってしまう。

そこで考えたのは、その穏やかさであり、それは親しい友のようなものではないかと思った。
少なくとも一定時間は一緒にいる訳だし、影響も多少受けている。
「ほらお前の体はこんな痛みを感じた事はないだろう」
などと言ってくれる。

2015年11月10日 (火)

ジムにいた老人

ジムに年寄がいる事は今では珍しくない。
80前後だろうか、一応スポーツウェアは着ているが、体はたるんでいる。
そしてずっとスチール椅子に腰かけていて、長過ぎる休憩を取っている。
一般的にジムにいる老人は、元々老人に縁のないジムという空間で、無意識に自分を周囲に押し付けている様な、何処か強引なスタイルを身に付ける。
だが彼はまるで公園のベンチでまどろんでいる様だ。
私はずっと何時までジム通いができるか考えていた。
体が筋トレによって痛み、それが回復しなくなれば、それがジム通いの終わりになると漠然と考えていた。
だがその老人は、そんな些細な事などお構いなしに、悠然としてスチール椅子に座っている。

2015年11月 6日 (金)

知的でない検索が増えた

検索する対象が決まり、それが只、単純なものと判る事がある。
勉強になるとか、少しは知的な解釈や想像力とか、そういう要素が全くない。
それは例えば、Epsonプリンタの互換インクが本当に使い物になるかとか
そういう類の検索だ。

検索を始める時、頭の中では同時に警報ベルが鳴り、
「危険だよ!、もっと他にやる事があるんじゃない?」と告げるものがある。
純正インクと互換インクでは値段は倍以上開いているが、互換インクだと色々不具合もあるようだ。
何千円かの節約のため、検索に労力を費やすのか、という考えが頭を過ぎる。

こんな下らない検索など必要なかった昔を懐かしむ事もできる。
昔会社にいた時、互換インクを買うかどうかなど、同僚に意見を求めれば直ぐに決められた。
尤も以前の会社では費用の節約など、大した問題ではなかった。

でも今は、会社も同僚もいなくなった。
お金は自分の懐から出ていく。
知的であろうが、なかろうが、情報を集めバクチのような判断をしなくてはいけない。
この様な知的とは言えない検索作業が増えている。

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